棋王戦は熱戦が続いてますが、郷田先生の「5万年生きていても考えないですね」が最高過ぎますね。私が私である限り指さない、ということですね。しびれました😌— 将棋情報局編集部 (@mynavi_shogi) February 6, 2021
棋王戦は熱戦が続いてますが、郷田先生の「5万年生きていても考えないですね」が最高過ぎますね。私が私である限り指さない、ということですね。しびれました😌
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「5万年生きていても考えないですね。美しくないですからね。人間が美しいと感じるのはすごく大事なことなんです」
山ちゃんのインタビューにも通じるな。
「勝負という観点で言ったら長考しても無駄なんですよね。あんまり良いこともないです。だけど長い目で見たときに、一生懸命考えたことがない人というのは、そんなに怖い相手ではないんです」
形って大切なんだなと
【将棋世界2012年2月号より】
~第24期竜王戦第5局観戦記/記・大川慎太郎~
打ち上げの席。
乾杯から1時間が経ったころ、話を聞くために挑戦者の元へと向かった。
隣に座ってグラスに水を注ぐと、意外なことに丸山が「この間の観戦記なんですけど」ときっぱり前置きして、話を始めた。
12月号に掲載された竜王戦第1局の記事で、私は丸山について次のようなエピソードを記した。
数年前に丸山の観戦記を初めて担当し、後日に電話取材をしたときのこと。
解説者の指摘した有力な順を丸山に尋ねると、「それはやっていないのでわかりません」という返事だった
丸山は勝負にマイナスになるようなことは口にしない主義なのだろう、と。
だが、そういうことではない、と丸山はいう。
「あのとき指摘された順は、実戦では全く考えませんでした。
だから私にとってはまったく思い入れがないんです。
そこを後からつついても響くものはないし、残した棋譜に対して敬意を欠いている気がします」
溢れるように出てくる言葉に、私は意表を突かれた。
「たとえば私が1枚の風景画を描いたとします。
でも後から『あそこに月を加えた方がよかったんじゃない?』と言われても困ります。
たとえそうだとしても、その発想がない人間に言っても仕方ないと思うんですね」
月。そんな比喩が出てくるとは思わなかった私は黙って耳を傾けた。
「将棋は2人で作るものなので、対局相手が指摘した場合はもちろん別ですよ。
そのときはわかる範囲でお答えします。ただ解説者の指摘に答えても、それは解説のための解説になってしまう。
だから『感想戦で、やっていないのでわからない』と言ったんです」
こちらの目をまっすぐに見据えながら、丸山は説明してくれた。 最後に「こちらにも言葉が足りない部分はあったので」と言って笑顔を見せた。
一局の将棋を後からつつけば、ミスは見つかるだろう。だがそのことにどれだけの意味があるのか。
もっと他に伝えるべきことがあるのではないか。丸山はそう言いたかったのだろう。
取材し、一局の最善手順を追求していくのは観戦記者の仕事のひとつである。だが、そこに力点を置きすぎてはいないか。
終盤戦で時間がなくなれば、ミスが出てくるのは当然である。
棋士を“終盤で間違える人達“という印象しか持たれないような書き方をしていないか。
人間同士が決して後に引き返せない決断の連続で作り上げた棋譜への愛情が感じられない原稿になっていないか。
一局の将棋にすべてを懸ける思い、そして将棋ジャーナリズムに対する貴重な示唆を、丸山の口から聞かせてもらったことを、私は忘れないだろう。
そういう意味でも、今期は(個人的に)記憶に残るシリーズだった。
郷田先生や丸山先生は崇高な棋士だし真摯な姿勢が素晴らしいよね
藤森五段「人間界においては ただこの人結構人間じゃない可能性があるので」 会長に対して
この差は何なのか
会長は変態すぎるのだろうか
そらモテるわな
素直に羨ましいと感じる
含蓄のある言葉だな
郷田九段が言うと重みがあるし説得力が半端ない
あいつらは何も考えてないしわかってない
変態呼ばわりされてる棋士2人「………」
まだ小学校前よね
二枚目真っ只中で結婚しなくて良かったわ
今がとても素敵ですから
真ん中辺の指せない手の話が好きだ
結局指してるけど子供たちの前では指せなかった、というのが
確か相手が戸辺で、76歩34歩68玉とかだった気がする
やればできるじゃん
丸山先生の『月』の話は聞けてよかった。
さすが元名人。
得した気分。
美しいかどうかは後世が決めることやろ
勝率が高くて残った戦型に対して、後から美しいと言っているに過ぎない
左美濃の要の69金を58金と上がって左美濃を崩して玉の横が素通しになる手は普通は考えないわな
淘汰され美しく散っていく
数十年ある分野で経験を積んだ人間の美意識ってのは旧世代価値観の投影でしかなく
自己肯定ひいては世代肯定の温床となり新たな価値観を受け入れることを阻害する
郷田がこの姿勢のままなら加藤一二三路線を歩むことになると思う
先手矢倉角換わり全盛期に郷田は後手番で頑なに84歩を指しタイトルに届かず
またA級に定着できかなかった
しかし姿勢を変えて横歩を指すようになって羽生から棋聖を獲った
なのに名人は振り飛車も指せるべきという信念で森内から名人を奪いそこなった
成功体験と失敗体験をしているのだから
もう少し柔軟に物事を考えることを取り入れるべきだと思う
いや負けてもいい将棋だった美しかったと喜べる無責任なファンとしては
今のままがかっこいいんだけれどね
でも後から『あそこに月を加えた方がよかったんじゃない?』と言われても困ります。
たとえそうだとしても、その発想がない人間に言っても仕方ないと思うんですね」
将棋は2人で作るものなので対局相手が指摘した場合はもちろん別ですよ。
そのときはわかる範囲でお答えします。ただ解説者の指摘に答えても
それは解説のための解説になってしまう。
だから『感想戦で、やっていないのでわからない』と言ったんです」
将棋は二人で作るものか
たしかにハッとさせられたわ
渡辺名人はシメオネを好む
棋風がこのへんにも現れてて興味深かったな
これは物理学の世界でも通じるって聞いたことあるな
数式が美しいかどうかは一見無意味なことのように思えるけど、美しさ(対称性)という要素で物理学は進歩していってるらしい
ソフトの手見ながら語ってます<m(__)m>
羽生 鬼畜
森内 鉄板
佐藤 緻密→変態
郷田 格調
丸山 激辛
藤井 システム
いかにその手を自分で指せるようになるか
そのためにはソフトの価値観を人間なりに解釈して
理解しようとするしかないからね
それを怠った人間は棋力という一点においては
取り残されていくのだろうと思う
タイトル6期
一般棋戦優勝回数7回
王位 1期(1992年度 = 第33期)
棋聖 2期(1998年度 = 第69期、2001年度)
棋王 1期(2011年度 = 第37期)
王将 2期(2014年度 = 第64期 - 2015年度)
登場回数18、獲得合計6
早指し将棋選手権 1回(第31回)
日本シリーズ 3回(1993年度 = 第14回、1994年度、1995年度)
勝ち抜き戦(5連勝以上) 1回(第20回)
ネット将棋・最強戦 1回(2007年度 = 第1回)
NHK杯テレビ将棋トーナメント 1回(2013年度=第63回)
優勝合計7
これだけ実績残していれば十分でしょ
しかしこれこそが彼らの矜持であり損得の向こう側にある個人としての指し回しで多くのファンを魅力させるエンターテイメントなのである。
棋譜という作品の事を考えたらソフトに数手前の手を反省して手損しろって言われても、
数手前の考え方を踏襲した流れを選ぶのはプロとして当然だろう。
勿論、そういうケースで読み抜けを反省して最善を指せる豊島みたいな人間の方が強いんだけど、
棋譜として数年後に眺めた時に美しいのは前者だと思う。
美学に殉じなければ会長くらいのタイトル獲得成績は残せたよ
郷田「いや僕を応援してください。」
これよ
魅せつつ勝つんだから
非の打ちどころが無い
別に序盤戦での戦型の話はしてないでしょ。
駒がぶつかってからの変化で読みだけじゃなくて人間的な感覚が入ってくるという話でしょ。
実際、ソフトの手が綱渡りの可能性もあるから難しいし、感覚的にいい手が後々指しやすい時もあるとは思う。評価値云々は置いといて。
2011年のA級順位戦1回戦、千日手指し直し局の▲渡辺明 対 △郷田真隆戦では郷田が角換わり富岡流の定跡手順をそのままなぞって投了するという珍事が起きた。
郷田は局後に「定跡とは知らなかった」と語った。
都合上、ちょっと優先すべき別のことが発生してるだけで
剛腕丸太流
角交換振り飛車右エルモ囲い2三飛型を指しこなす変態棋士である
本筋など知ったことか演算モンスター藤井の棋譜で足りる
「筋の良い手」で勝てる棋譜を見るなら渡辺の棋譜並べていればいい
一将棋ファンとしては郷田は郷田でいてほしい気持ちはある
これは谷川にも言えることだけど
ただ結局は勝ってなんぼの世界だからなぁ
このセリフも万年C2やアマが言っても鼻で笑われるだけだろうしな
丸山九段をこれまで以上に応援したくなった
いいエピソードを教えてくれてありがとう
今がチャンスとばかりに指す所作、ダブついた腹
他からどう見えてるかわかんねえのかよ? ○w
羽生は1分、郷田なら30秒。
それはどの世界でも一緒だけど。
時代や環境でも変わってくる
一方、勝ちやすい手というのを広めたのは名人
破天荒やんちゃボーイも棋士の賑わいではないのか?
あの剛剣の如き力強さ
格調高い指し手
2時間の大長考で全て読み切って勝つこともある。あのカッコ良さは将棋指しは惚れる
棋士を“終盤で間違える人達“という印象しか持たれないような書き方をしていないか。
人間同士が決して後に引き返せない決断の連続で作り上げた棋譜への愛情が感じられない原稿になっていないか。
犬川だけど素晴らしいね
すべてのソフト厨、レーティング厨、知ったか厨、終盤厨、羽生藤井Anti厨に贈りたい言葉ですね
ここで谷川郷だは美学厨だから弱いなどとオールオアナッシング厨してる婆鹿共にも送りたい言葉です
人間たる棋士は“終盤で間違える人達“であることは事実だよね
郷田の気風は好きだけどそれは別問題
完璧な人間なんていないんだよ
それをとやかく言うのが無粋と言いたいのではないかな
恐らく一番楽しみにしているだろう、郷田先生
豊島さんはB1時代に開幕5連敗を喫したこともあるし侮れないクラスだよ
ヘボな自分でも正解がその手だったとしても死んでも指したくない手とかあるし。勝ち負けを超越した何か
こういう観戦記を書ける人がいるおかげで将棋の奥深さが認知されたり、格式の高さが保たれてるように思える
[ 2015/10/23 06:05 ] 順位戦
このサイトでも記事のタイトルにされたやつ
懐かしい
しかも良いことを言う
感心したわ
羽生さんがこの前勝勢で投了したって話題になったけどこの観戦記に書かれている通りだと思う
※36
でした。
※36
でした。
人間が感覚的に培った美しい手を追及する棋士が一人くらい居てもいいとは思うよ
数学的というか理論的というか計算の世界では恐らくは淘汰されてゆく存在だろうけど
残した美学と淘汰されていった事実こそが意味があることだとは思う
その美学でルックスをキープして欲しかったな。
美学を持った棋士は小説のようなエピソードを持ってるよね
観戦記者は大変だとは思うよ
でも郷田九段や丸山九段の言い分も理解できる
郷田は年考えたらかなりかっこいいだろ
やればできるんだなここの連中も
王将戦のコメ欄とか地獄絵図だし
ようは詰むか積まないか
そういうこと
と、橋本が言ってた
崇高そうなこと言っても、心は小汚さそう
レベルの高さや合理性だけを求めるなら今の時代人間の将棋なんか見るより世界コンピュータ将棋選手権見た方がよっぽどいいはず
でも実際はそういう人の方が圧倒的に少ないのはそういうこと
待ち駒は卑怯だと言いそうだね
まず美しいものを作れ、必ずそれは力学的にも理に適ってると
アマチュアの俺ですら、ソフトの手が美しいと感じることが多いけどね。プロなら尚更感じているでしょ。
良い言葉をきけた気がする
そんなことは起こらないのか。
あらゆる可能性をできうる限り考える、という美意識もあるだろうから彼らと真逆の棋士がいてもいい。
全員同じような美意識だったら全体としての進歩はない。
時間の限り最善手を考え続ける棋士が一人ぐらいはいた方が全体としてのレヴェルは上がるんだろう。
最近の中だとここのコメ欄が一番レベルが高い
強い挑戦者でも大変だと思わないんだ。やっぱり一流のプロは違う。