動画をアップしました!羽生善治九段が平成将棋を語ります。今まさに竜王戦第2局を戦っている羽生九段。すでに中盤の難所という感じですが、平成初期のタイトル戦では駒組みで1日目が終わるということもよくありました。https://t.co/MprKTjcqGb— 将棋情報局編集部 (@mynavi_shogi) October 22, 2020
動画をアップしました!羽生善治九段が平成将棋を語ります。今まさに竜王戦第2局を戦っている羽生九段。すでに中盤の難所という感じですが、平成初期のタイトル戦では駒組みで1日目が終わるということもよくありました。https://t.co/MprKTjcqGb
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今頂点に君臨するのは渡辺名人だ!
上手い商売だわ
固く囲う事の評価が高くない事が分かって
仕掛けるタイミングも早くなったと言ってた
将棋界を年号で区切ったら平成は羽生の時代だね
羽生ヲタには怪鳥はザコにしか映ってないだろうが、怪鳥は森内に勝ち越しているんだぜ。
それにしても羽生さん25年以上前の棋譜を覚えてるなんて凄いわなあ
会長は生まれた時期が悪かった
wwwww
将棋が嫌いなくせに棋士のファンとかそれ意味あるのかと
今年度からは藤井ソウタ。
レート1位を維持している。最低20年はトップを維持する。
渡辺は藤井に一発入れることは出来ても番勝負では敵わないことは渡辺本人もブログで認めている。
トップは藤井。
レートのみでなく、渡辺自身が藤井には敵わないと認めている事実も踏まえてあげて。
だからコメが伸びないw
ソフトよりIT化、棋譜データベース辺りから影響受けていたんだろうね
将棋の歴史は長いだろうが戦略が洗礼されたのは平成なんだろう
大正昭和の将棋棋譜なんてそうそう見かけないし
元気出せよ
雑魚相手に稼いだレートで自慢されても
愚民はヒーローを求める
ヒーローの活躍には悪役が必要になる
昭和の時代は日常会話もテレビから流れるニュースも全て昭和〇〇年だった
平成になるとNHKや日テレを除いて西暦での表記がメジャーになる
平成から令和の代替わりは譲位のためあらかじめ準備期間を設けた
なまじ改元まで時間的猶予があったため民間企業は西暦表記一色に
奨励会員も十九年度入会、二十年度入会とか元号で言っていたが今はどうなのかな
>羽生ヲタ→藤井ヲタ
こういう奴はファンではない。
自分の歪んだ妄想を、
その時一番強い棋士に投影さて
自己陶酔してるだけのパラノイア。
内容や将棋についての話がないのか
羽生おただと思う
最高の棋譜はプロ棋士からしか生まれなかった
だからこそ価値があった
芸術家だった
だが今は違う
AIに1万回やっても一回も勝てないレベルの連中がAIの猿真似を途中までして後はどっちが先にミスするかの劣化ゲームに成り下がった
今のプロ棋士は己の力で創造していない
芸術家でなくただの棋譜研究家
それは事実だが、プロ棋士が一番気にしている事だから、あまり触れない方が良い。
棋士自身の存在意義が無くなっている事は棋士自身が一番よく理解している。
新人の本田が 尊敬する棋士は?と聞かれ 「いません。ソフトでやっていますから」 との回答が一番よく棋士の存在意義を表している。
渡辺の暴走による冤罪事件も 自暴自棄になったプロ棋士のなれ果ての姿。
こっちはたまに見に来てるだけなのに必ずこんな奴を見かける
自分も罵り合いとか告発がらみの誹謗中傷合戦よりも将棋の内容について話したほうが健全で面白いと思ってたのだが
最近プロ棋士の将棋をソフト視点や第三者視点で批評したらいけない、失礼とものすごく否定されたから
そういう人は少数派なのかもしれん
どうせ出来ないでしょ
出来もしないくせに価値がないとか随分簡単に言うよね
以前は慎重に時間使って駒組みしながら色々な可能性を考えてきた
それが養分になったときもあった
今は要所に時間をつぎ込んで考える でも両者分かりきってない中でその場で考えてるだけだからスリリングでがくっと折れる将棋が多い印象だ
興行は生身の人間やそのバックストーリーに応援や関心が集まる
プロ棋士は人間界では一番強い人たちなのは事実であって興行への参加資格を持つ人々、そこは尊敬されてしかるべき
平成時代は 羽生の頭脳 で近代将棋が開花した と言われているが(研究会方式の山田道夫との説もあるが)、あくまでもプロ棋士が道筋を作った。
今はソフトの手を基に構想を作成する(過半のプロキシは「暗記する」)状況となった。
最新ソフトが権威となった状況はコペルニクス的変動と言える。
但し将棋観戦は従前どおりのエンターティメントがあり、人気は衰えていないが、これは生身の人間がどこまでソフトに近い手を指せるか(逆に「やらかした」をどこまで抑えれるか)に興味が集中しているため。
最善手はソフトを傍らに置いた観戦者が知っている世界となった。
一件変わっていないようで、根本が変わった点は認識すべき。
オレは演奏家だが、コンピュータで完璧な演奏を作ることができても
プロの演奏家の存在意義は不変だと思ってる
藤井が言ってた時に大いに同意したよ
若いのに良い事言うよな
プロ棋士は無意味と本気で思うならAI同士の対局を見とけ
上でも指摘されているが、興行としての価値は変わっていない。むしろ観客がリアルタイムで最善手が分かる今の方が興行的には価値がある。観客がリアルタイムで逆転を認識出来る世界となった。
将棋の真理はもはやソフトの独断場になった。
興行としては渡辺事件みたいなヤラカシがない限りこれからも安泰。
演奏家は少し事情が違って作曲家という人間がいるということが大きい。演奏家の実演では不可能な演奏や楽譜に書ききれない楽曲の解釈を作曲家自らがコンピュータの助けを借りて行うことが可能になるという点がある。
今の棋士であの内容を、今の時代にアップデートして作成出来る者はいない。
自分が疑問に思うのは過去の棋譜並べをするのと
ソフト同士の棋譜並べをしたりソフトで検証した結果を対局に活かすことにどれだけの違いがあるのか?
お題目である棋理の追求だとか、負けるとプロの資格を失う制度とかを考えると
勝ち続けなければならない、より強くなければならないという宿命をプロ棋士はおっている
その宿命よりも芸術性を優先する意味はよくわからない
一世を風靡したけれど消えた戦法、そういうものを産み出すのを芸術性とすると
現代では対処法が比較的すぐにわかってしまう
対処法を知ろうとおもえばわかるにも関わらず、知らないふりして負け続けるってのは勝負にたいして真摯でないような気もする
なのでソフトを利用しないことの意義はあまり理解できない
年齢による保守性もあるかな、藤井くらいの年齢だとあっさり受け入れて自分にも自信があったりするもんだ
ロボットが人間に置き換わったらどうなるか?
ヨーロッパには働かなくて良くなるという楽観論もあるけど、アメリカや日本では人間が両極化して天才だけセレブに、残りホームレスかワーキングプアという悲観論が強いかな?
両者の人間社会の設計の違いが現れてる気がする
尊敬する棋士はいない 研究相手はソフト
と言っていたが、今の棋士が置かれた状況を如実に物語っている。
ソフトを暗記することに主力を置いている現実を棋界関係者、将棋ファンは正面から受け入れなければならない。
ソフト以前からファンやってるが登場後も特に関心は無い
「棋士ではやはり棋理の追究は無理かぁ」とため息をつくことも無いな
以前と同じかな
ただやっぱり渡辺えん罪事件よ
これはがっくりきた
毎週見てたNHKもほとんど見ない、関係者が出たら中継も全く見ない、竜王アカデミーとか論外w
こういう棋士の側面には関心なくなったし疑うようになった
今からでも事件を総括して欲しい
本田さんは何を求めて棋士になったんだろう?
ナベに挑戦するという物語はそれなりに面白かったのだしきたるべき藤井王朝に挑戦するのは誰か、という点でも非常によかった
ここのやつらも時代は藤井じゃなくて本田、とかいって盛り上がってただろう?
あとソフトの棋譜や手順を暗記することと過去の棋譜を暗記することの価値の違いがやっぱりわからねえ
社会階層の違いはあれど飯塚の独善性と頑迷さにも相通づるものがある
これから入る業界の人らにそんなこといっていいのか
「特にこれと言った先生はいないんですが、今は強い方がそれぞれ特徴あって盗めるなら盗みたいですね。タイトルを獲れる棋士にあこがれますから、ゆくゆくは自分もと思いますね。」と言えなかったのか?
ソフトを尊敬するなら来る場所間違えてるよ
やっぱり棋士の特別な地位が目当てって言ってるようなもんだ
豊島藤井なんてまさにそうだし、渡辺もトップとして当たり続ける間は公の場で羽生を尊敬しているようなことは言わないと決めている
尊敬する棋士は居ないとするのは合理的
将棋は将棋
好き、勝ちたい
ソフトだ人間だって何なんだろうとは思います
[[[これから入る業界の人らにそんなこといっていいのか]]]
「特にこれと言った先生はいないんですが、今は強い方がそれぞれ特徴あって盗めるなら盗みたいですね。タイトルを獲れる棋士にあこがれますから、ゆくゆくは自分もと思いますね。」と言えなかったのか?
ソフトを尊敬するなら来る場所間違えてるよ
やっぱり棋士の特別な地位が目当てって言ってるようなもんだ
一般と競技の世界を混同するな老害
じゃあ「尊敬する棋士は?」っていう質問はその点について聞いたものかというとそうではない
人柄で選ぶのも1つの正解ではあるんだろうがどちらかというと「強さで憧れるのは?」というのと同義なのだから若手がソフトと言い出すのはおかしくない
棋士では尊敬するのは誰々さんですと答えておいて、実践では特段敬意を払っている必要は無いわけで
マスコミに乗せられソフトですと答えているのが甘い
ソフト指しくさいって
渡辺被害者説、次期会長説を広めるミッションと思われるが、無理筋。
久保なみに粘れたら永世7冠を簡単に達成してる
そんな事件を起こした者には次期会長はおろか理事も無理。
ところが第二次安倍政権は誕生してしかも長く続いた
これを見ると、渡辺会長もありうる
でもそれなら羽生会長だってありうる
昇段祝いくらい自由にやれば良いじゃないか
そう
ソフトが指したって人間が指したって将棋は将棋、あとは学ぶ人が強くなりたいかどうかだけ
芸術だのなんだのって余計な視点なんだよ
見るほうが勝手に棋士に投影してるだけ
棋理の追求でソフトが人間に勝てるわけねーだろ
ソフトは単なる道具だぞ
人間がソフトを使うからソフトに価値が出てくるんだよ
ソフトが棋譜をどうやって体系化(言語化)してくれるっていうんだ?
いつかソフトが将棋の本を書いてくれるとでも?w
ほんとソフト教の奴らはマヌケだよなぁ
マジでソフト同士の対局だけ観る将しとけっての
芸術とかじゃなくてだな
言語化
言ってる意味わかる?
科学の実験にしてもデータから意味を取り出して理論化するのは人間の作業なんだよ
そういう一からの体系化とか理論化は芸術家にしても同じだろうけどな
>「確実に強くなったと思います。ソフトの序中盤の手を研究し続けていると(実戦でも)ソフトに近づいた手を指せる感覚があるんです」
>「ソフトに触れずに強くなれたとは思えないですし、使うことを疑問に思ったこともないです
>「(研究)量しかないと思います」
>理想の棋士像を問う時、普通の若手ならタイトルホルダーらを挙げるが、本田は「理想はコンピューター。人ではないです。目標とする棋士はいません」
将棋倶楽部24で毎日毎日ひたすら指してきた本田の世代の率直な感覚なんだけど、まあ羽生ヲタ爺さんみたいなのがイライラする発言ばかりだよね。
羽生さんが序盤研究のファイルを作っていたとか、
どこに分類すべきか問題に遭遇したとか
なかなか庶民的だよね。
実際は執筆活動を通じて自分の頭の中に
整理されていったのだと思う。
また実戦の中で着手以外のストックを作って行ったというのも
なるほどなあと思った。
羽生さんという人は、タイトル戦ですら
実験の場と考えていたし、
実戦をしつついわば学習していたわけで
他の棋士とは余裕の持ち方が違うんだろうな。
今の棋士は対局のずっと前から
ソフトで事前研究をたっぷりやらないと
劣後してしまうわけで、
棋士というのも世知辛い因果な商売に
なったものだと思う。
勝負師であるだけでなく、
学者なみの研究者でなければならない。
でもどういう意味
羽生が若い頃は 「羽生の頭脳」の著作や羽生の棋譜が 将棋の神様と地上をつなぐ線であった。
今では最新ソフトが将棋の神様と地上をつなぐ線となった。
ソフトは誰にでも手に入る為、アマといえどもソフトがあればソフト無しのプロ棋士は掌に収まる。
プロ棋士の立ち位置がソフトの掌に入ってしまうこととなり、プロ棋士の指し手は重く見られることが無くなった。
一点良い点は、興行としてのプロ棋戦は以前よりも価値が生まれた。シロウトの観戦者がソフトを使う事で、形成判断およびプロ棋士の悪手を瞬時に分かるようになり、生中継のスポーツの様な緊張感を生み出すこととなった。
>「ソフトに触れずに強くなれたとは思えないですし、使うことを疑問に思ったこともないです
>「(研究)量しかないと思います」
>理想の棋士像を問う時、普通の若手ならタイトルホルダーらを挙げるが、本田は「理想はコンピューター。人ではないです。目標とする棋士はいません」
これだけ聞くとやっぱり生意気な何かじゃんw
これは単にソフトを使用しているかの話では無く間接的に先輩棋士は自分にとってあまり意味が無いと言っているようなもの
これは単に失礼だよ
マスコミにやられてぺらぺら喋るのも良くない
なぜかソフト教と罵倒されていることに驚きを禁じ得ない
じゃあ、お前もAIが何だか分かってない老人だなw
羽生も勝ち越してるけどw