「もっと頑張らなくてはならなかった」……鈴木肇元奨励会三段の胸中
アマチュア強豪が集い、プロ棋士や奨励会員も足しげく通う「蒲田将棋クラブ」。鈴木肇(すずき・はじめ)さんは中学2年生のころから、蒲田将棋クラブへ通って腕を磨き、見事奨励会への合格を果たす。慢心からゲームセンターの誘惑に負けて1年間停滞したり、1級では2年半もの間足止めを食ったりと、紆余曲折を経て22歳で三段に上がるも、彼の前には熾烈な三段リーグのサバイバルレースが立ちはだかる。三段リーグ参加者に重くのしかかる年齢制限の壁。26歳の誕生日を迎えた者は、9勝以下の場合その期限りで退会……昨年行われた三段リーグで、鈴木さんはこの掟に泣いた。
元三段となった鈴木さんに、観戦記者の小暮克洋氏が当時の心境を聞いた。
写真提供:蒲田将棋クラブ
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http://www.excite.co.jp/News/lifestyle/20140223/NHKtextview_12058.html
銀河将棋チャンネル
http://ch.nicovideo.jp/ginga-shogi
<家族のこと話そう>将棋プロ九段 佐藤 康光さん
私が小さいころは関西に住んでいました。家族は両親と弟、妹。父はきちょうめんな性格。私はそこは似ませんでしたね。製薬会社で営業の仕事をしていましたが、家ではよくしゃべるタイプでなく、もの静かでした。母は専業主婦で家事中心。おおらかなところがありました。
両親は、いろいろうるさく言ったりするようなことは少なく、私はのびのび過ごすことができました。バイオリンやそろばんを習わせるなど、私の可能性を模索してくれました。バイオリンを習っていたのは四歳から中学一年まで。両親にその方面の素養はなかったんですが、近所で習っていた子がいたのです。
私が将棋を指し始めたのは小学一年。友達が学校にミニチュアの盤と駒を持ってきたのがきっかけです。興味を持ち、公民館で開かれていた市民向け将棋教室に通うようになりました。将棋を覚えたころは、父と指すことが多かったです。でも一年半ぐらいしたら、私がたまに勝つようになり、父は指してくれなくなりました。
小学四年のとき、父の協力もあって週刊誌に出ていた将棋の実力認定問題に取り組み、アマ初段の免状を取得することができました。父は私がそこで将棋をやめると思ったようですが、違いました。土曜、日曜に師匠の教室に通うようになり、将棋にのめり込んだのです。そのころの実力はアマ四級。小学六年のときはアマ二段くらいになり、父に東京に連れていってもらって小学生名人戦に出場して三位になりました。
中学一年のとき奨励会(プロ棋士の養成機関)に入会。父の転勤のため、中学二年のときに東京へ引っ越しました。高校は千駄ケ谷の将棋会館に一番近い高校に入り、高校の帰りに連盟に直行して将棋を勉強し、家には夜帰る生活を続けました。(続きはリンク先で)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/CK2014022302000166.html
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